サルダの鼻公園
1983年6月公開。
並木二丁目1街区・12街区の境に位置する公園です。
インパクトのある公園名は、かつて海だったころの漁場から付けられました。
漁師達は海上で自分の位置を確認する時、遠近の2点のポイント(山・岬・灯台など)を目印にしていました。大げさに例えると、近くの八景島と遠くの富士山が重なって見える場所…という具合です。
海からの見え方のイメージ。舟の位置によって2点は重なったり離れたりします。
金澤写真アルバムより 1971年撮影(一部をトリミングしています)
富岡の元漁師のお話によると、「サルダの鼻」は、八幡鼻(富岡八幡宮。鼻とは、岬のように海に突き出した地形のこと)と円海山頂上の電波塔がちょうど重なって見える位置。その隣に「猿田 ※1」という田んぼがあったことから、「サルダの鼻」と呼ぶようになったといいます。
サルダの鼻は沖合距離が不明確なため推定としています。
電波塔は、1954年(昭和29年)に設置された電電公社極超短波無線中継所の事と思われます。実物は2001~2002年頃に撤去されましたが、この周辺は現在もFMヨコハマなどのアンテナが集中して立っています。
京急富岡駅ホームから見た円海山鉄塔群。2018年撮影。
「猿田」は横浜市栄区上郷町の字名で、現・県立横浜栄高等学校付近 ※2。地名としてはもう残っていませんが、昭和57年に縄文・奈良時代の住居跡などが発掘され、「上郷猿田遺跡」と呼ばれています。
※1 横浜市町区域要覧によると、正式な読み方は「さるた」。
※2 旧・県立上郷高等学校。2009年港南台高校と統合し栄高校となりました。
並木の公園は藤棚が多いですが、サルダの鼻公園は東屋タイプ。中心に設置され、周囲の遊具に目が行き届きやすくなっています。
遊具が新しくされていく中、開設当初からのものと思われる手摺も。
ケヤキ・桜などが大きく育ち、公園内にはすでにかなりの本数を間引きした跡も見られます。
並木は埋立地で地下に塩分が含まれるため、樹は根を下方に伸ばすことが出来ず、横方向に広がりやすくなります。道への影響は街全体の課題かもしれません。
隣には多目的広場と高層階。人の目も届き安心感があります。
公園東側の入口は竹垣のある小径で、また違った印象に。幅広い年齢に親しまれる公園です。
サルダの由来は富岡在住の浜田清次氏にお話しいただきました。当記事はそれを受けて、電波塔・猿田の位置等を独自で検証しまとめたものです。
浜田さんは朝日新聞デジタル(2005年12月2日)で、富岡についての取材を受けていらっしゃいます。併せてぜひお読み下さい。
参考文献
マンション管理ジャーナル 「金沢シーサイドタウン物語」2003年12月
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