並木第二小学校
※当記事の校舎写真は2018年に撮影したものです。
壁の色など第二小当時と若干異なる箇所もありますがご了承下さい。
昭和55年4月1日開校。並木地区内に作られた二番目の小学校です。
校舎はレン設計事務所(進来廉)によるもの。進来氏はフランスの建築家・ル・コルビュジエに学んだ日本人最後の弟子であり、1階部分を大きく開放したパティオや独特な形の窓など、師の影響をこの校舎にも見ることができます。
昭和54年 建設中の様子(5周年記念誌より)
設計にあたっての理念は「地域が利用しやすい学校づくり」。体育館・プール・特別教室を正門入ってすぐの所に配置することで、住民に開放するゾーンを明確にしました。
また、北側の住宅(ブラウンハイム)の日照を妨げないよう、校舎を敷地の南側に建てるなど、住民への様々な配慮もみられます。
傾斜した屋根と、内部の採光窓が印象的な昇降口。
(上は「横浜市の学校建築」より。完成当初の様子)
吹き抜けのパティオが校舎の中央に。
生徒の声が1階の職員室までよく届きます。
窓も、窓枠も不思議なかたち。
廊下と階段踊り場。
各階には広くワークスペースが設けられています。
二階屋上。5周年の航空写真(後に掲載)を見ると、当時ここに学区域の地図が描かれていたことが解ります。
校庭には憩いの池と、西村潤氏・作「並二の少女」。
体育館への渡り廊下。
冬晴れの日は、さざなみ団地の向こうに富士山が見えることも。
体育館とプール入口。
カラフルな扉も印象的。
(5周年記念誌「わが並二小」より)
校章は学区域の父母・児童からデザインを募集し、昭和55年6月3日に制定。これに伴い、同日が創立記念日となりました。
3本の線は「知・徳・体」の調和のとれた健全な心身の発達を示しています。曲線は人としての心の豊かさ・まろやかさを象徴し、その端の6つの点は各学年をあらわしているとのこと。
校歌は歌詞を全家庭に募集し、寄せられた7編を基に作詞家の水木れいじ氏がイメージをふくらませたもの。
作曲はPTA副会長の推薦で、「そして神戸(レコード大賞作曲賞受賞)」などで知られる浜圭介氏に依頼されました。
校歌制定を記念してつくられたレコード。
PTA主催でささやかなお披露目会も開かれました。
第二小建築中の様子
初年度(昭和55年)の児童数は449名。第一小に通っていた20・21街区の子どもたちは、第二小開校に伴い転校することになります。最初は20名以下のクラスもありましたが、住宅の完成と入居(特に17街区のさざなみ団地)が始まると児童数は一気に増え、翌年に11教室を増設。開校4年目には1,014名にもなりました。
5周年記念誌に寄せられた子どもたちの作文には、学校周辺が工事中で友達と外で遊ぶのが難しかったこと、グリーンベルトを越えて工場の臭いが漂ってきたこと、最初は道がなかなか覚えられず電柱を目印にして家に帰ったこと……そしてそこから徐々に設備が整い、りっぱな学校・緑の多い街になっていくことへの嬉しさが、多く記されています。
(5周年記念誌「わが並二小」より)
その後子どもの数は年々減少し、平成17年には184名に。翌年4月、並木第三小学校と統合。26年間続いた第二小の校舎を引き継ぎながらも、敢えて二・三小の伝統をゼロにした「並木中央小学校」が新設されることになります。
現在も第二小のホームページにて、当時の活動写真などを見ることができます。
並木中央小の記事は、次回12月1日掲載予定です。
参考文献
並木第二小学校 創立5周年記念誌「わが並二小」
横浜の学校建築1982 (横浜市教育委員会施設部編 S57.10)
撮影協力
堀部尚久先生(並木中央小学校 第二代校長)
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