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イガイ根公園

(2017年6月1日初出。後半部分を加筆しました)

イガイ根公園 1

1984年1月25日公開。並木に数ある公園の中でも特に名称が印象的。

「根」とは海底の岩礁や岩礁地帯を示す言葉です。「イガイ-胎貝」はムール貝に似た形の軟体生物(アサリ等とは形が違うという意味で"異貝"とする説も)。

このことから、「イガイ根」は、埋め立て前から漁師の間で使われていた呼称であり、埋め立てに際してその名を採ったのだろうと推測されます。

イガイ根公園 2

神奈川県横浜市発行、調査季報28号より。並木の沖合にあたる部分に、「イガイ根」の名称を見ることができます。

イガイ根公園 3

イガイ根公園 4

鉄骨屋根モニュメント・砂地の広場・アスレチックの3構造から成る公園は、並木第四小学校のすぐ裏手にあり、子ども達が集まりやすい環境です。

少年野球チーム「並木ジャイアンツ」がかつて集合場所としており、それにちなんでOB会は「いがいね会」と命名されたのだそう。

鉄骨の屋根に佇む風見鶏が印象的な公園です。

 

富岡の元漁師の古老の方から「太平洋戦争後の降伏文書調印式をした場所はイガイ根漁場なのでは」という興味深いお話を伺いました。

ユーキャン発行の「太平洋戦争・下巻(絶版。通販のみで書店販売はされていません)」の1ページ。調印式時の戦艦ミズーリ号の写真と共に、この場所が小柴沖であったと記載されています。古老のお話によると、背景の山並みがイガイ根漁場から見た小柴と同じとのこと。

イガイ根公園・太平洋戦争降伏文書調印式資料

マッカーサー元帥は調印式の場所を決める際、かつてペリー艦隊が停泊したのと同じ場所で行うことにかなりこだわったと言われています。

ペリーは1853年7月14日に、浦賀から小柴近海に移動して碇泊・滞在しました。その後も度々訪れており、日米修好通商条約(1858年)もここで締結しています。

この場所は「アメリカン・アンカレッジ」と呼ばれ、金沢区制60周年記念事業として八景島の一角に記念碑が設けられました。

八景島・アメリカンアンカレッジ記念碑

八景島内にある記念碑。対岸手前の水域がペリーの碇泊したとされる場所です。

(碑に詳細な地点が描かれているのですが、鳥の糞害がひどく写真を掲載することが出来ませんでした。後述の参考サイトを併せてご覧ください)

八景島・ペリー艦隊碇泊地

一方、降伏文書調印式(1945年9月2日)が行われた海域については、戦艦ミズーリ号の記念プレートに「35°21'17" NORTH/139°45'36"WEST」と記載あり。現在もハワイのミズーリ記念艦上で確認することができます。

イガイ根と終戦関連の参考地図

こうして見ると沖合距離は離れてはいるものの、調印式位置とイガイ根の緯度はほぼ同じであり、船上からの景色が似ているということも頷けます。

公園とは直接関係のない話になりましたが、歴史的な事柄が並木近海で起こっていたということで紹介させていただきました。

ミズーリ号記念プレートの写真など、詳しくはこちらのサイト(元地図屋さんという方のブログ)に記載されています。

 

参考文献

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