のりべか公園
並木1丁目と2丁目の境、ふなだまりに面した公園です。
「のりべか」の名称は、埋立前のこの周辺が海苔養殖場だったこと・海苔の収穫に使う船を「べか船」と呼ぶことに由来すると思われます。
富岡で海苔の養殖が始まったのは昭和3年頃のこと。
富岡漁港は北東に面し、冬は波風が強く沖へ出られなかったため、漁の代わりとして提案されたのが海苔づくりでした。富岡の海には天然海苔が存在することが解り、種を他から仕入れることなく8軒から手探りでの海苔づくりを開始。早くから質の良い海苔が多く採れ、全国でも最高位の価格で取引されるようになります。
生産軒数は一気に増え、養殖場は現在の長浜検疫所辺りまで広がりました。
赤地が埋立前の海岸。青が海苔養殖場、緑は海苔とワカメ養殖場。
(昭和45年頃の金沢地区関連漁業権図を参考に作成)
のりひびと呼ばれる竹の竿。これに種を付着させて海苔を育てます。
(1971年・富岡沖の様子。金澤写真アルバムより)
遠浅な富岡では、海苔養殖の開始以前から、アサリ・アオヤギ・アナゴ・シャコ、夜の海ではカレイ、7月は渡り蟹など、様々な魚介が豊富に採れたといいます。
戦前は東北から、小学校卒~兵役検査前の若い働き手が来ていたそう。戦後も中卒から20歳前後の人々が富岡漁業に従事。そんな徒弟制度は昭和30年頃まで続きました。
その後、工業による水質汚染や食文化の変化などで漁業は徐々に衰退。昭和58年8月28日、埋立てに伴い富岡漁業組合は解散となりました。
現在ののりべか公園に、漁業をしていた頃の面影はありません。(組合の記念碑は富岡八幡宮広場に建てられています)
公園内をぐるりと巡る水路は、金沢区役所土木事務所が毎年6月末に清掃を実施。以降9月頃まで毎日定期的に水が流れるようになっています。
以前あった柵(写真左下/1992年撮影)は老朽化で撤去され、今は柱を1本残すのみに。
公園からは富岡川・ふなだまり・八幡宮が一望出来、サマーフェスタの花火を間近で見られるポイントとしても親しまれています。春は八重桜、夏は楠の緑があふれる憩いの場です。
公園施工者の遊び心か「WE LOVE NORIBEKA PARK」の文字。
(他にも干網公園などで同様の記載あり)
参考文献
私の語る金沢 ― 町の古老に聞く H10.3.31 金沢区役所発行
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