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並木第三小学校


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昭和55年に氏家隆正設計事務所が手がけた、並木3つめの小学校。昭和56年9月1日開校。コンクリート壁面の各所に施されたレリーフが特徴的。

教室棟は一直線の長いデザインながら、圧迫感を和らげるために教室ごとにセットバックされ、全体的に弧を描くような設計がなされています。この独特の形が「かもめの形の学び舎」というキャッチフレーズになり、校歌の歌詞にも採用されました。

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(25周年記念誌「飛翔 - 新たなる旅立ち -」より)

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校門前と昇降口。

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スカイホールとプール入口。

雨の日の遊び場になっていた絨毯敷のスペース。

ステンドグラス風の表示は卒業生が制作したもの。

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家庭科室。各クラス・特別教室の表示も卒業制作。

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教師用出入口と、昇降口に飾られたカレンダー。

出入口の校章は第一回卒業制作。9月に開校されたため、六年生が並三で過ごしたのは約七カ月。43名の1クラスのみでした。

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体育館と図書室。

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並木第三小学校 9

トイレや避難指示のサインは、小学生にも解りやすい大きめの表示。

モップもなんだか懐かしいです。

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撮影時、避難訓練の最中でした。

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クラブ活動の中でもマーチングバンドが特に盛んで、小学校統合に際しての市への意見書には、活動が続けられるようにと明記されたほど。日が暮れてからの練習は、校庭に照明がほとんどなかったため、全ての教室の電気を付けて街灯の代わりにしたといいます。

校庭には土俵があり、実際に生徒がまわしを絞めて相撲大会をした時期も。

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上記の写真は全て、廃校前に許可を頂いて撮影したものです。下級は1クラスずつとなり、開校当時32あった教室のほとんどは別の用途として利用されていました。

2006年3月に第二小学校と統合され廃校となりました。いずれは高齢者向けに転用されるだろうと考えられていましたが、結局取り壊され民間へ売却されることに。正門だった場所に面影を残しつつ、現在は「並木コミュニティハウス」「横浜なみきリハビリテーション病院」になっています。

尚、卒業制作物に関しては「恒久的な保存施設を確保していくことは難しい」とされ、並木第二小学校閉校記念誌に写真として残されました。(詳しい内容は並木第二小HP「閉校について」をご参照下さい)

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参考文献

25周年記念誌「飛翔 - 新たなる旅立ち -」

横浜市の学校建築1982(横浜市教育委員会施設部編 S57.10)

図説かなざわの歴史 (金沢区政50周年記念事業実行委員会 H13.1.25)

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