並木十二天公園
1980年3月公開。
並木第一小学校と富岡東中学校に隣接した公園で、広いグラウンドと大きなモニュメントが特徴的。
「十二天」という名称は、埋立前の地名に由来すると考えられています。
下の地図、点線で示したのが元々の海岸線です。現在ログハウスがある辺りの膨らんだ部分が「十二天の鼻」と呼ばれていました(鼻とは、岬のように三方向を海に囲まれた突出地形のこと)。ここにはかつて神社があり十二神將の祠も祀られていたといいます。
この鼻~富岡八幡宮にかけてが「宮ノ前海岸」で、明治時代には多くの要人が別荘地とした場所でした。第2・4代内閣総理大臣・松方正義もその一人(慶珊寺の佐伯隆定前住職によると、松方氏が十二天神社の土地を買収し屋敷を建てたのでは、とのこと)。今も別荘跡の石碑が残されており、「十二天」の名称を見ることができます。
ここは東洋製罐寮を経て、2006年にニチイケアセンター富岡東となっています。(参考記事:宮ノ前公園)
富岡東中学校側から見た公園。曲線の小径が設けられ、一見しただけでは公園内にいる人や、その奥にグランドがあることにすら気付けないような作りです。こうした団地の喧騒をひととき忘れるような景観は、並木の構想初期から計画されていました。
約5m四方のモニュメント。天井画があるわけでもなくシンプルな造形。子どもの雨宿りに使われたり、時にはボールが屋根に載ってしまい取れなくなる…という逸話も。
モニュメント・植え込み・タイルなど、正方形が公園デザインのテーマになっているのではという印象。グラウンドの周囲はマテバシイが多く、台風後はあちこちにドングリの山が。
公園数か所に見られるタイルは宮ノ前公園や1丁目14街区などにも見られ、特に14街区は小路によって絵柄の数が変わるのですが、十二天公園内は全て同じ組み合わせです。
平日はゲートボールサークル・土日は野球練習などに利用されているグラウンド。平成25年、公園愛護会や子供たちの協力により、転がっていた多くの石が取り除かれて、より安全に楽しむことができるようになりました。野球チーム「並木フェニックス」では、練習場所への感謝や地域住民への恩返しになるようにと、練習前に公園清掃を実施しています。
周囲に高層マンションが無いので開放感があり、コレナミ(これからの並木を創る会)などによる星空観望会も行われています。シンプルながら、たくさんの可能性を感じる公園です。
(記事作成にあたり、ゲートボールチームのみなさまに撮影許可を頂きました。ありがとうございました)
参考文献
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