フレンド幼稚園
1982年4月開園。南北に長い並木のほぼ中央に位置する幼稚園。2丁目唯一の教育施設です。
住宅都市整備公団(現在のUR都市機構)からの人脈で、先に埼玉・茨城で幼稚園を開いていた江南学園・榎並亮氏に声がかかり、創設されました。
江南学園は都内各所での英語教室の実績を持ち、当園でもそれを活かした教育を当初から行っています(現在は幼稚園事業のみを行っているとのこと)。
※1 地鎮祭のようす。榎並亮・現名誉理事長。
(以下、写真※1~3は創立30周年記念誌より)
開園時は平屋建ての1棟のみでしたが、住民の入居と共に入園希望者が急増。2年後の昭和58年に二階建て部分が増築されました。
一時は隣接する空き地(現郵便局)にプレハブ園を仮設、昭和62年には3丁目に第二フレンド幼稚園を設立するなどして、並木の子どもたちを広く受け入れ、成長を見守ってきました。
※2 昭和58年のようす。2階建て(茶色屋根の棟)が造られ、現在とほぼ同じ姿に。
屋上プールは昭和60年に新設されました。
教室棟・ホール・職員室がコの字型に並ぶ園舎。どこからでも中庭に目が届きます。
遊具下の青いシートがかかっている所が砂場ですが、場所を限定せず庭全体で自由に遊んで良いことになっているのだそう。のびやかな生活を通して、主体性・社会性を身につけます。
夏のお泊り保育では、この園庭でキャンプファイヤーや花火大会も。
運動会は並木第三小学校で。廃校後は第四小のグラウンドを借りて行っています。
音響天井を備えたホールは、園の活動・イベントだけでなく、並木の民間のボランティア団体「サニーアベニュー」がコンサートを行ったりと、広く活用されています。
また、平成20年にクーラーが設置され、お泊り保育の就寝時も熱中症の心配がなくなりました。
撮影時冬休みのだったため、教室内に装飾がありませんが
その中でも球根や冬眠中の亀、子どもたちの工作など、
幼稚園らしいものがあちこちに。
幼稚園の西(六街区)側、道路に面した部分。
目隠しをしつつ、一日中教室に光が差し込むよう配慮されています。
園バスからの入口。
幼稚園バスは平成7年から開始。元は第二フレンド幼稚園併設のスイミングスクールバスを借用していましたが、平成10年の閉園に伴い通園区域が広がったことから、新たに専用バス2台が導入されました。
昭和58年~平成16年、地域の要望により学童保育を開設。
左が開設当時(※3)。右は2018年のようす。
この建物は現在、時間延長保育や、園児に絵本を貸し出す「フレンド文庫」で主に活用されています。
平成27年、二階に給食室が設けられ、週2回出来立てのあたたかいご飯を園児全員が一緒に食べられるようになりました。おかわりは職員室に置かれ、希望する子どもたちが入れ替わり訪れるのだそう。
制服は創立当初のまま。変わったのは、鞄がショルダーからリュックになった事だけとのこと。(写真左は教職員が作ったもので、職員用入口に飾られています)
園章のユニコーンは「とてつもない勇気・不屈の精神」の象徴。この精神を胸に、教職員一同子どもたちと向かい合い取り組みたい、という願いも込められています。
園歌は1988年、姉妹園である埼玉・高麗フレンド幼稚園(註)の10周年に合わせて作られました。詞は保護者・全教職員へ募集し、名前を伏せて選定。教務理事・宇佐見宣子氏の「きらきらひかる…」が採用されました。
曲は当時新鋭だった作曲家・三浦真理氏に依頼。実際に園を訪れて子どもたちに接した上で曲作りをして下さったとのこと。三浦氏は現在も、多くの合唱曲・アンサンブル曲を手掛けるなど活躍されています。
(註:現在は学校法人として独立。平成30年よりフレンドこども園へ移行)
園ではほぼ毎月避難訓練を実施。また、横浜なみきリハビリテーション病院の協力で、年2回、園児全員が病院屋上へ向かいます。
埋立地という土地柄で不安は0ではありませんが、教職員の方々の尽力と、周辺住民や施設からの多くの見守りを感じることのできる幼稚園です。
参考文献
フレンド幼稚園創立30周年記念誌
協力
榎並和子理事長
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